スタッフ紹介

院長 板坂 浩志

出身           住まい
三重県 菰野町         大阪市西区
資格
柔道整復師
今ハマっていること
子育て 休日はいつも娘二人とデートしてます!(^^)!
趣味
野球観戦(広島カープファン) プロレス観戦 硬式テニス 
学歴
菰野小学校⇒菰野中学校⇒四日市高校⇒近畿大学⇒行岡整復専門学校        
生年月日 血液型
10月10日生まれ O型

誕生

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三重県菰野町、菰野厚生病院にて10月10日に生まれました。

泣き虫でちょっとしたことで、すぐ泣いていたそうです(笑)

幼少時代

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父親の転勤が多く、引っ越しを繰り返していました。

僕の記憶にあるのは新潟県北魚沼郡の山奥に住んでいたことで、毎年3m以上積もる雪の景色でした。

小学校3年生まで住んでいて冬季はスキー、夏季は山や川へ遊びに行く活動的な生活でした。

普通におやつが庭の野菜でトマトやキュウリを食べてました。

 

妹と仲良く

写真

妹との誕生日の写真です。体が小さく妹と一緒に遊んでいると

よく「お姉ちゃんと似てるねー」と間違えられることが多かったです。

小学校時代

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小学校5年生から野球部に入り、毎日練習に没頭してました。

下手くそでレギュラーにはなれませんでしたが、野球の練習が楽しくて休まずに通ってました。

ピアノやスイミングを習っていて、今思うと結構忙しい子供時代でした。

 

 

 

 

中学時代

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中学校に入ると硬式テニス部に入り、自分からキャプテンを志願し、朝から晩までクラブ漬けの毎日でした。

忘れられないのが左手を骨折していても右手が使えたらテニスはできる!と思い、練習して試合にも出てました。

 

高校時代

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高校時代も部活は硬式テニスに入りました。

進学校だったので勉強との両立が大変でした。

ある時、部活中に肘が痛くなり練習を満足にできなくなり病院へ・・・しかし、治療をしても痛みが止まりませんでした。痛みを我慢しながら実践練習が満足にできずにランニングや筋トレ中心の練習をせざるおえませんでした。

痛みが軽減したら練習を始めまた痛める、という繰り返しでした。

病院へ行っても良くくならず「練習をやめて安静にしてね。」と言われるばかり。

満足に痛みがなくプレーできずに引退。不完全燃焼の部活生活で悔しい思いをしました。

 

 

 

大学ー専門学校

大学はプログラミングの勉強をする学科に行きました。単純にパソコンがおもしろそうだったから。

この時は整骨院で働くとは全く考えていませんでした。

転機は就職活動の時です。

人の役に立ちたいと考え医療機器メーカーについて、色々調べていました。

自分自身で調べるうちに現場で直接人と接し、自分で治療が出来るようになれれば良いと思い整骨院に就職!!

あまり後先考えずに行動してました。

 

職場で仕事をしていく中、知識をつけ勉強しなければと考え専門学校に入りました。

仕事をすればするほど、職場で人と接しているのが楽しく学校に行くより職場での仕事を優先していました。

 

開業

平成22年11月に大正区に開業!

 

治療に対する思い

私にしか治せない人がいるから

開業して間もないころ

「何で自分は治療家を仕事としているのか?」

と考えることがありました。

色々な仕事がある中なぜ自分は治療家なのか?
なぜこの仕事が好きでやっているのか?
と考えると、結局この言葉がでてきます。

私にしか治せない人がいるから」

この仕事が長くなればなるほどはっきりと強く思います。

私には治療の技術を教えてくれた師匠が何人もいます。

技術のレベルでは師匠の方が上でしょう。

しかし師匠の治療でも良くならなかった人が、私の治療を受けて改善したことがあります。
私にしか治せない人がこの世界にはいるはずです。

だから治療家をやっている!と思います

仮に「体が治っていく」という現象が

目に見えることだけで説明でき

るのであれば

治療技術のレベルや知識だけで治療家の優劣をつけれます。

正直、技術や知識だけでは師匠に勝つのは難しいです。

しかし、実際の現場ではこんなに話は簡単ではありません
 〇〇さんには効果がある治療でも××さんには効果がなかなかでない
って良く聞きますよね。
 この世界には人それぞれ
目に見えないその人にしかない「何か」が絶対にある。

その人にしか役に立つことが出来ない人が必ずいる。

誰が自分にとってその人なのか?

さすがにそれはわかりません。

 

 もちろん知識や技術もめちゃくちゃ大事です。

だけど知識や技術や経験って
自分が役に立てるかどうかを
瞬時に見極める為の物だと思います。

 

 まだ会っていない「私にしか治せない人」
と出会うため
この仕事を業としています。

 

坂本 健太郎

出身     住まい
長崎県対馬市       大阪市西成区
今ハマっていること
関西グルメ巡り(おススメのお店があれば教えてください♪)
趣味
スポーツ観戦(特にサッカー)
学歴
厳原小学校⇒厳原中学校⇒長崎日大高校⇒日本大学
生年月日  血液型
10月14日生まれ  B型

誕生

写真

長崎県の対馬という島で生まれ育ちました。

生まれた時、頭の形がミッキーの耳みたいにポコッとでていたので、

看護婦さんから「ミッキーちゃん」と言われていたそうです(笑)

幼少時代

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幼少期はおとなしく、引っ込み思案な性格でいつも2つ上の兄にくっついて

まわって、兄と兄の友達に遊んでもらっていました。

小学校時代

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基本的にずっと外で遊んでいる小学生時代でした。

小学校4年生からサッカークラブに入り、毎日暗くなるまでボールを蹴っていました。

対馬は日本で一番韓国に近い島ということもあり、韓国までサッカーの遠征に行けたのは良い思い出です。

中学時代

中学ではサッカーをしながら陸上もやり始めて、主に200m、4×100mリレーのメンバーとして、大会に出場しました。

生徒会にも入り、反抗期も特にないマジメな中学時代でした。

高校時代

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高校でもサッカー部に入り、毎日遅くまで練習に明け暮れていました。

ある日、練習中に突然腰が痛くなり、病院に行ったけど湿布を貼って安静にするように言われるだけ。整骨院にも通い、少し楽になったと思って練習に復帰するとまた痛くなる。

結局、ずっと腰に不安を抱えた状態で満足にプレーすることが出来ないまま引退。

悔しさが残る高校時代でした。

大学時代

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大学でもサッカー部に入り、勉強そこそこに部活とバイトに明け暮れていました。

部活で初めてキャプテンになり、チームの為に自分はどんな行動をとるべきなのか?

そんなことを考えているうちに、自分は『誰かの為に何かしてあげられる仕事に就きたい』と漠然とですが考えるようになりました。

ただ、この時は整体院で働こうとは考えていませんでした。

社会人時代

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大学を卒業後、整体院ではなく都内のホテルに就職しました。

ホテルではハウスキーパー・ベルボーイ等、主に宿泊部門で勤務していました。

その後、ディズニーのオフィシャルホテルへの出向も経験し、毎日ディズニーランドの最寄り駅まで行くけど、パークの中には入れないという、もどかしい毎日を過ごしていました。

治療への思い

ある日、ホテルでの勤務中にぎっくり腰になり、病院に行くと腰椎椎間板ヘルニアと診断を受けました。

この時、仕事も出来ず、普通に歩くことすらできない状態でした。更に3カ月後には結婚式を控えていたので、結婚式を楽しみにしている奥さんを悲しませるわけにはいかない!という思いから、奥さんのために保存療法ではなく、怖さがあったのですが手術することを決断しました。

今思えば、手術にはリスクもあり、もしかしたら一生歩けなくなるかもしれない。。。という不安な気持ちを抱えながら過ごしていた日々を思い返すと、他に何か選択肢はなかったのかと考えることがあります。

手術から3年経ったある日、再びぎっくり腰になり、近所の整体院に通いました。

そこで治療を受けて腰の状態が良くなっていく中で、「自分と同じように悩んだり、苦しんでいる人を良くしたい!」「自分の手で一人でも多くの患者さんを笑顔にしたい!」という思いが強くなり、整体師を目指そうと決意しました。

今は、私の事を頼ってくれる人を絶対後悔させないためにも、目の前の患者さん一人一人に対して全力で向き合っています。相手の痛みや苦しみを取り除いてあげられるよう日々技術を磨き、知識を深めています。

これから、一人でも多くの患者さんを笑顔に出来るよう精進していきますので、私にお任せください。